田中文雄と宮里栄一先生、順道館玄関前にて。
恩師最後の言葉
『 田中君 来てくれたんだね。元気でやっているか。また会えるから 必ず会えるから 元気で頑張れ。きっとまた会えるから 頑張れよ 田中君 』
1999年8月 恩師宮里栄一先生から田中文雄への最後の言葉であった。
1999年8月に、私は妻と長女を連れて、数年ぶりに順道館を訪問した。午後8時頃ではなかったかと思う。フランスから来た外国人男女が約20名くらいで空手の稽古中であった。私は中学1年生に成長した長女を宮里先生に見せて家族共々元気で暮らしていることを報告するつもりであった。
その時、現在沖縄剛柔流空手道協会の理事長高良正剛先生が現れて声をかけてくれた。
「田中さんじゃないですか、お久しぶりです、お元気でしたか。どうぞ奥の部屋に入って下さい」と応接室に招かれた。
「実は上層部の一部の者だけの内密なのですが、宮里先生は重篤な病気で入院して面会謝絶中なのです。田中さんが来てくれたことは必ずお伝えします」とのことであった。
宮里先生に会うこともかなわず仕方なく帰宅して、2週間くらい後だったかと思う。自宅に宮里先生自身から電話があった。それが先の宮里栄一先生から田中文雄への最後の言葉になったのである。その約3か月余り後に宮里栄一先生はお亡くなりになりました。
1999年12月11日 沖縄空手界の巨星墜つ 享年77歳