三戦の研究(上本町道場 田中文雄)

 

昭和55年3月 研究資料

『 三戦 』

沖縄剛柔流空手道協会発行

(故)宮里栄一先生の著作。非売品として協会会員向けに発行された。「三戦」に特化した貴重な研究資料である。表紙の写真は(故)新崎常夫先生(握り瓶での三戦の運足訓練)。実演写真は(故)宮里栄一先生、(故)田崎厚牛先生(宮里先生の兄弟子で宮城長順先生の高弟)、佐喜真武市先生、外間正光先生などです。

序文から抜粋

三戦(さんちん)は心身の鍛錬と統一の根拠(基本)を呼吸法におき、筋骨の連繋を目的としている。人のエネルギー源は栄養と酸素で、この二つが絶えず新陳代謝することによってエネルギーを獲得し生命を維持しています。今日諸スポーツに言えることは余り勝負に固執し質より量に傾注し、先人達が遺した大切な基本を軽視する嫌いがあり心すべきことである。特に三戦はその真意を解しないと武術と遠くかけ離れているやの感がして若い修行者から敬遠され勝ちで、三戦の重要性を改めて解き、その充実をはかり難い所存で呼吸法の諸先生方の文献をも参考に供しなお一層三戦の効用に注目して頂きたい。古来禅宗でも調身・調息・調心を強調しています。心と体と呼吸は不可分に結びついています。

 

私はこの研究資料を改めて開いてみると、恩師宮里栄一先生の達観の凄さに今更ながら敬服します。世に空手の大先生と言われる人は大勢いますが、その中でも宮里栄一先生は特に稀有な存在だったと確信しました。

表紙写真の新崎常夫先生は田中文雄が特に制引戦の指導を受けた先生です。佐喜真武市先生は順道館時代から田中文雄の親友です。

空手の歌(上本町道場 すとうゆうと)

友達だ~い好き(仲良しコンビの高見心優君と須藤雄斗君)

空手の唄

『皆輝いている』

空手は~ 自分の~ 身を護る~ ものなのさ~

空手は~ 力を~ 貸して~ くれる~

だから~ 強く~ なれる~ のさ~

み~ん~な~ かがやいて~いる~

作詞・作曲 須藤雄斗(5歳)

(コメント)

『人に打たれず 人打たず 事なきをもととするなり』

拳聖宮城長順先生 遺訓

を決して忘れないようにしようね。(上本町道場 田中文雄)

空手上達の秘訣(上本町道場 田中文雄)

 

空手上達の秘訣

1、よく説明を聞くこと(聴く)

2、しっかり見ること(観る)

3、繰り返し練習して身体で覚えること(行う)

4、真剣に工夫研究すること(考える)

以上の4点を日々実践することが稽古であり、それを永続することが修行である。

四天王寺参り(上本町道場 田中文雄)

 

喜久川政成先生と田中文雄

喜久川政成・勝子先生と田中文雄

喜久川政成・勝子先生と田中文雄・藤崎彰文

10月9日は大阪支部顧問の喜久川政成先生・喜久川勝子先生を夕陽丘散策と四天王寺参りにご案内しました。

石の鳥居(重要文化財)から極楽門に入り、西門、天宝輪、古本市、仁王門、亀の池、石舞台、大黒堂、五重宝塔などを見物して回りました。今から約1400年以前に聖徳太子が建立された日本仏法最初の官寺です。

沖縄剛柔流空手道協会大阪支部の発展を祈願しました。

その後はあべ地下で、楽しく食事とゆんたく。

喜久川政成先生ご来阪(大阪支部長 田中文雄)

喜久川政成先生・勝子先生ご苦労様でした。お忙しい中を今年もまた、大阪支部の無理な申し込みを快くお受け下さり、大阪支部一同この上なく感謝しております。ありがとうございました。

10月7日~9日の三日間、大阪支部顧問の喜久川政成先生・勝子先生が、大阪支部門下生を指導してくれました。沖縄本場仕込みの空手を直接にご指導受けたことが大阪支部門下生の誇りとなり、今後も益々空手道修行に励めることになるでしょう。これからもご指導を宜しくお願いいたします。

沖縄空手の論文(上本町道場 田中文雄)

1985年4月(私が当時38歳頃)、沖縄の新聞に長期間連載された貴重な論文があります。タイトルは『沖縄の空手』です。松林流の新里勝彦先生が 武道空手とスポーツ空手の違い を考察した本格的な論文である。現在、新里勝彦先生は沖縄で松林流喜舎場塾を主宰し、広く海外支部も展開されていて、首里・泊手系の有名な先生の一人になっておられます。

今までに武道空手とスポーツ空手について、ここまで踏み込んで論じた画期的なものは見られなかったので、本格的に沖縄空手を志す者は、必ず一度は読むべき優れた論文です。

(現在は入手困難なものです。私が全論文のコピーを大阪支部門下生用に数部所有しています。希望者は早めに私に連絡して下さい。)

空手修行の心得(上本町道場 田中文雄)

沖縄のことわざに

きらまや みーゆしが まちげー みーらん 

(那覇港の沖合にある慶良間諸島はよく見えるが、一番近くにある自分のまつ毛は見えない)がある。灯台もと暗しと同意である。

人は自分の欠点には気付きにくいが他人の欠点にはよく気付く。誰でも大変な間違いをするまでは自分の欠点に気付きにくいものである。我が身に振りかかる失敗を未然に防ぐためには常に

人の振り見て我が振り直せ   他山の石

などを念頭に置いておく必要がある。

その為には謙虚な心と素直な心が求められる。

恩師 宮里栄一先生の 修行の心得に

その1、謙虚にして礼儀を重んぜよ

その7、慢心せぬこと

の教えがあります。大阪支部会員は肝に銘じておかなければならない。

空手道修行は生涯自己修養の道に他ならない。

沖縄古武道大阪研究所(大阪支部長 田中文雄)

トンファー

ヌンチャク

9月24日(日曜)は沖縄古武道大阪研究所で古武道の稽古でした。ここでは沖縄棒術と釵術の研究をしています。

棒は古武道の大家(故)又吉眞豊先生から(故)鈴木昭彦先生が習得されて、私が習った周氏の棍(しゅうしぬくん)。釵は名人の(故)喜屋武真栄先生から(故)鈴木昭彦先生が習得されて、私が習った津堅志多伯の釵(ちきんしたはくぬさい)。

鈴木昭彦先生の門下生で古武道を教わった者は私一人だけしかいないので、それを後進に伝える義務が私にあるのです。昨日は津堅志多伯の釵の中で、払い落し返し打ちの部分稽古を重点的にやりました。

栄武館5周年記念

(栄武館館長 辻康彦)

栄武館5周年記念祝賀会が9月10日道頓堀ホテルで行われました。約70名の出席で少年部の演武もありました。二次会は難波のカラオケルームで、花峯伸吾副館長の「オジー自慢のオリオンビール」 で盛り上がり、午後11時過ぎに閉会しました。

(栄武館は5年前までは、スポーツ競技カラテの日本伝剛柔流空手道巧志会と攻武会にて空手を学び、スポーツ競技カラテの顕武館道場として活動していた。思うところあって、5年前に攻武会を脱会して、沖縄剛柔流空手道協会大阪支部に転向入会し、道場名も顕武館を栄武館に改め、新たに活動開始したものである。)

空手沖縄稽古 (上本町道場 田中文雄)

 

国際通り牧志駅前、うふシーサー。

7/26~8/1の間、沖縄稽古に行って来ました。7/28~7/30の間は沖縄空手会館にて沖縄剛柔流空手道協会の沖縄合宿稽古に参加。これには海外23カ国から300人余りの外国人が参加し、英語・スペイン語・中国語での通訳がされていました。私も五段のグループの指導者として担当しました。

夜間は毎日、与那原町の喜久川道場で喜久川政成先生の直接ご指導を受けました。

7/28(金)は三代目会長で沖縄県無形文化財保持者指定の比知屋義夫先生が7/25にお亡くなりになり那覇葬祭会館へお別れに行きました。

比知屋先生との思い出で最も鮮明に記憶していることと言えば、沖縄が祖国復帰する前の旧順道館(木造建物)で、私の三戦を比知屋先生が背後から、仲宗根計吉先生が前からで締めをしてご指導を受けたことです。当時の激しい三戦の締めが、私の青年時代の強烈な刺激と、その後の空手修行の励みとなり、現在の私の空手を形成してきたものと思います。ありがとうございました比知屋義夫先生やすらかにお休み下さい。

(故)知念眞三先生と田中文雄と、(故)比知屋義夫先生

田中文雄と(故)比知屋義夫先生

(故)比知屋義夫先生と田中文雄

(故)知念眞三先生の似顔絵

このハンサムな武士は誰でしょう?

(嶺井南康先生の35歳位の時の写真です。嶺井道場にて私が撮影)

田中文雄と備瀬知信先生(宮城長順先生の直弟子)

田中文雄と志喜屋新孝先生

田中文雄と又吉 忠先生

高良正剛先生と田中文雄

照屋幸榮先生と松林流会長平良慶孝先生と田中文雄