だちびん(抱瓶)泡盛を携行する為の容器である。
1980年(昭和55年)3月31日、私の順道館時代に恩師宮里栄一先生から頂いただちびん(私の宝物の一つです)
カラカラ(泡盛を杯に注ぐ容器)
順道館時代に泡盛を飲みながら同志と空手談義を交わした青年時代が懐かしい。
だちびん(抱瓶)泡盛を携行する為の容器である。
1980年(昭和55年)3月31日、私の順道館時代に恩師宮里栄一先生から頂いただちびん(私の宝物の一つです)
カラカラ(泡盛を杯に注ぐ容器)
順道館時代に泡盛を飲みながら同志と空手談義を交わした青年時代が懐かしい。
まちわら(巻き藁)
40年程前に某空手新聞に、スポーツ競技空手の全国組織団体でトップクラスのポストに君臨していた某有名大先生の記事があった。某大先生のたまわく「私は永年厳しい空手の修行をしてきた。その中で一つだけ無駄な訓練だったものがある。それは巻き藁訓練だ。いくら巻き藁を突いても拳が石や木よりも固くならないし、また組手競技の試合に何の効果もない」と述べていたのである。
これは笑止である。私はその某大先生に申し上げたい「貴方は拳を石や木よりも固くする目的で、巻き藁訓練をしていたのですか?」と。否、まちわら訓練は決して拳を石や木よりも固くすることを目的とするものではない。
まちわら訓練は、「目付け・間合い・両脚の踏ん張り・体軸と腰の安定・肩の沈め・肘の堕とし・脇の締め・胸の張り・腰の切れと切り返し・作用と反作用・抗力と反抗力・力の入れと抜き・拍子・呼吸等々を、様々な攻防のバリエーションをイメージして突きの効力を最大限に発揮できるようにする」ための究極の訓練である。
伝統沖縄空手とスポーツ競技空手の本質的な考え方の違いが、如実に顕れていると言える。
したがって硬いコンクリートの壁や、たわみのない柱や、或いはサンドバックやパンチングミットを打つような感覚で突くものでもない。本質的に違うのである。
東恩納寛量先生の言葉に
「百術一拳のこと。百術ありといえども、一命を運命(さだめ)るは一術一拳なり。最初にして最後の一拳のみなり。一拳に命を賭けること、武士の本体なり」
がある。まちわら訓練が究極の鍛錬であったことが想像できる言葉です。
『大島筆記』
沖縄の空手について初めて文献にあるのは、1763年沖縄の官船が薩摩に向かう途中暴風に遭い、高知県宿毛市大島の海岸に漂着した際、土佐藩の儒者戸部良熈(とべよしひろ)が潮平親雲上(しびらぺーちん)他52名の乗組員から聞き書きした大島筆記である。潮平親雲上は物頭役で江戸や北京にも数度往来した見識の高い高官だったため、当時の沖縄の地理・風俗・政治・経済等を知る上で貴重な資料である。
その三巻に「先年組合術の上手とて、その技、左右の手のうち、一つは乳の方を押さえ、片手にて技をし、摺足(すりあし)をよくきかせる術なり。はなはだ痩せ弱々しい人でありしが、大力の者、無理に取り付きたるを、そのまま倒したことなどありしなり」と述べている。
(沖縄伝剛柔流空手道 宮里栄一先生著より抜粋)
(故)宮里栄一先生の著書
『 沖縄伝剛柔流空手道 』
1978年(昭和53)7月1日 実業の世界社から出版
伝統沖縄剛柔流空手界から出版されたものとして、その内容が特筆されるのは剛柔流の歴史的なものから将来的に求められるもの、そして拳聖宮城長順先生から直接教わった技術的に骨格となるもの、さらに精神的なものなど広範囲に渡っていることです。正に沖縄剛柔流のバイブルとも言えます。
他にも剛柔流関係書籍は多数ありますが、宮里先生の表現をそのまま借用したり、ほぼ盗用したのではないかと思われるものが、その後の刊行物によく見受けられます。
宮里栄一先生が56歳で、私が31歳の時に出版されたものです。現在、私は70歳ですから、宮里先生の当時の年齢を遥かに超えてしまったことになるので私自身の未熟さと先生の偉大さを痛感する次第です。
私は、今もよくこの本を開いて、恩師宮里先生の生前の教えを振り返り、自分の修行のよすがとしています。
現在は絶版となっています。剛柔流の関係者が最も手に入らない貴重な書籍として、インターネット上で数万円で売買されているようです。またその海賊版までも出ているようである。
ティサージ(手ぬぐい)
1973年(昭和48年)沖縄タイムスホールにて『剛柔流開祖宮城長順先生20年祭演武大会』が開催されました。
この時に、私も順道館門下生として出場演武しました。その参加記念として配布されたのがこのティサージです。私の青年時代の思い出のティサージです。
開会式のご挨拶を、恩師(故)宮里栄一先生が力強くされたことを、今も印象深く覚えています。
この演武大会では宮城長順先生の高弟であった(故)仲井真元楷(なかいま げんかい)先生が、上半身裸の半ズボン姿で三戦を模範演武されました。当時すでに御高齢であったにもかかわらず見事な三戦をされていました。前沖縄県知事の仲井真弘多氏のお父様と言えば、皆様にも当時の年齢が想像できるのではないかと思われます。
仲井真元楷先生は、拳聖宮城長順先生の後継者指名のために、沖縄で招集された剛柔流振興会の議場で司会進行役をされた高弟であり、生前は順道館の顧問をされていました。
恩師(故)鈴木昭彦先生書の拳法之大要八句
拳 法 之 大 要 八 句
人心同天地 人心は天地に同じ
血脈似日月 血脈は日月に似たり
法剛柔吞吐 法は剛柔を吞吐し
身随時応変 身は随時応変する
手逢空則入 手は空に逢えば則ち入る
碼進退離逢 進退は碼りて離逢す
目要観四向 目は四向を観ることを要す
耳能聴听八方 耳は能く八方を聴听す
沖縄に伝わった『武備志』である。
中国明代の茅元儀による兵法書の武備志と同名であるが全く別物です。沖縄の武備志は作者不詳であるが白鶴拳の由来が記載されているところから白鶴拳の伝書と思われる。拳聖宮城長順先生が中国福建省から持ち帰ったのではないか?と言う説もあるが、そうではないと言う諸説もあり由来は定かでない。
しかしながら私達大阪支部の門下生は武備志の知識だけは必ず持っていなければならない。
なぜならば、沖縄剛柔流の命名の由来となった「拳法之大要八句」にある法剛柔呑吐や、閉手形転掌の元になった六機手や、武人像(九天風火院三田都元帥)が掲載されており私達には興味深い古書である。四十八手の絵図には剛柔流の形に含まれている技ではないかと思われる技法の絵図が散見されます。
私が所有しているのはその模写本のコピーで、順道館時代に恩師(故)宮里栄一先生から直接頂いた物です。原本は45年程前に宮里栄一先生の案内で首里の博物館で見ましたが、現在は何処に保管されているか分かりません。
五輪書 水之巻より
31憶5360万
何の数字か分かりますか?
3153600000=1×60×60×24×365×100
「百年を秒になおすと約31憶5360万秒」となります。
人の一生を百年とすれば約31億5360万秒生きることになります。
厚生労働省が2017年9月15日に100歳以上の人口が全国で6万7824人となり過去最高になったと発表しました。
これは定年退職してからも長い人生が続くことになります。定年後も長く健康を維持して行けるように、早くから対策を考えておく必要があります。
21世紀に生きる私達は、これからは『百年の計』を立てる必要に迫られているのです。
シニアも健康寿命を延ばすためには、「日々の運動習慣と夢を持ち続けること」が必要です。
そこでシニアには「自分の年齢や体力や生活に応じて適度に修行することができる沖縄空手道」が最もおすすめです。
若い仲間と交流できるので、認知症の予防にも効果があります。できるだけ早く取り組むことが大事です。
1日は8万6400秒です。1年は約3153万6000秒になります。こうしている間にも、間違いなく時間は1秒1秒と確実に経過しています。何もしない1日はすぐに過ぎ去ってしまいます。
『1日を粗末にする人は1年を粗末にすることに、1年を粗末にする人は一生を粗末にする結果となります』(上本町道場 田中文雄)
昭和55年3月 研究資料
『 三戦 』
沖縄剛柔流空手道協会発行
(故)宮里栄一先生の著作。非売品として協会会員向けに発行された。「三戦」に特化した貴重な研究資料である。表紙の写真は(故)新崎常夫先生(握り瓶での三戦の運足訓練)。実演写真は(故)宮里栄一先生、(故)田崎厚牛先生(宮里先生の兄弟子で宮城長順先生の高弟)、佐喜真武市先生、外間正光先生などです。
序文から抜粋
三戦(さんちん)は心身の鍛錬と統一の根拠(基本)を呼吸法におき、筋骨の連繋を目的としている。人のエネルギー源は栄養と酸素で、この二つが絶えず新陳代謝することによってエネルギーを獲得し生命を維持しています。今日諸スポーツに言えることは余り勝負に固執し質より量に傾注し、先人達が遺した大切な基本を軽視する嫌いがあり心すべきことである。特に三戦はその真意を解しないと武術と遠くかけ離れているやの感がして若い修行者から敬遠され勝ちで、三戦の重要性を改めて解き、その充実をはかり難い所存で呼吸法の諸先生方の文献をも参考に供しなお一層三戦の効用に注目して頂きたい。古来禅宗でも調身・調息・調心を強調しています。心と体と呼吸は不可分に結びついています。
私はこの研究資料を改めて開いてみると、恩師宮里栄一先生の達観の凄さに今更ながら敬服します。世に空手の大先生と言われる人は大勢いますが、その中でも宮里栄一先生は特に稀有な存在だったと確信しました。
表紙写真の新崎常夫先生は田中文雄が特に制引戦の指導を受けた先生です。佐喜真武市先生は順道館時代から田中文雄の親友です。